Source: Nikkei Online, 2023年7月28日 2:00
興福寺の話が続く。今回の像は公開される機会の少ない興福寺本坊持仏堂の本尊である。明治時代までは興福寺内の門跡寺院「大乗院」に伝来していた。国の重要文化財指定名称は「木造聖観音立像」であるが、1997年に東京国立博物館に出品された時の調査で像内納入文書が確認され、弥勒菩薩(ぼさつ)像として建長5年(1253年)に快円(かいえん)が造ったものとわかった。
この美しい像の納入文書には、願主である妙阿弥陀仏という名の尼僧の切実な願いが記されていた。尼は現世の罪を悔い後世は仏道をえることを願うと同時に、来世にふたたび人に生まれたなら、女身を捨て男子となって生身の弥勒菩薩を拝したいと願う。成仏のために女身から男身に転じたいという「変成男子(へんじょうなんし)」の祈願である。前回に少しふれた西大寺の叡尊はこうした往生の方法を尼僧たちに説いていた。妙阿弥陀仏も叡尊の周辺にいた可能性がある。
仏師快円の作風は、快慶のそれに近く、名が示すように快慶の弟子らしいが、やはり叡尊周辺で活動した善派仏師の一人かもしれない。快慶の系統をひく仏師が鎌倉中期には善派のなかに流入していたようである。
(1253年、木造、金泥塗り・彩色・切金、玉眼、像高87.0センチ、興福寺蔵)